最終更新日:2025年7月15日 スリランカ日本歴史
スリランカと日本の関係

スリランカと日本の関係
スリランカとのつながり
〜戦後復興と信頼の絆が築いた、特別な友好関係〜
日本とスリランカ(旧セイロン)の関係は、仏教をはじめとする精神的なつながりだけでなく、戦後の国際社会における歴史的な出来事を通して、深い信頼と友情を育んできました。日本の戦後復興はスリランカなくしてはあり得なかったと言っても過言ではありません。
サンフランシスコ講和会議とジャヤワルダナ氏の歴史的スピーチ(1951年)

第二次世界大戦後、日本は連合国によって占領され、国際社会への復帰が大きな課題となっていました。
1951年9月、サンフランシスコ講和会議において、当時のセイロン(現スリランカ)代表 ジャヤワルダナ蔵相(後の大統領)は、各国が日本に対して厳しい制裁や賠償を求める中、仏陀の教えを引用して次のように語りました。
「憎しみは憎しみによって止むことはなく、愛によって止む」
“Hatred ceases not by hatred, but by love”
この演説は会場を静まりかえらせ、日本の国際社会復帰を強く後押しする決定的な一言となりました。
スリランカはこの会議において、日本に対する戦争賠償請求を一切放棄し、日本の早期独立と復興を支持したのです。
このスピーチは、戦後の日本人にとって大きな希望と感謝の象徴となり、今も語り継がれています。
動画【The Speech】顕彰碑ジャヤワルダナ元スリランカ大統領(日本語字幕)
日本を救ったブッダの言葉 鎌倉大仏殿高徳院「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」に託された平和への願い
表】
ジャヤワルデネ前スリランカ大統領
人はただ愛によってのみ
憎しみを越えられる
人は憎しみによっては
憎しみを越えられない
法句経五
Hatred ceases not by hatred but by love
【裏】
J・R・ジャヤワルデネ前スリランカ大統領顕彰碑誌
この石碑は、1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコで開かれた対日講和会議で日本と日本国民に対する深い理解と慈悲心に基づく愛情を示された。スリランカ民主社会主義共和国のジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ前大統領を称えて、心からなる感謝と報恩の意を表するために建てられたものです。
ジャヤワルデネ前大統領は、この講和会議の演説に表記碑文のブッダの言葉を引用されました。そのパーリ語原文に即した経典の完訳は次の通りであります。『実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。』(『タンマパダ』5)
ジャヤワルデネ前大統領は、講和会議出席各国代表に向かって日本に対する寛容と愛情を説き、日本に対してスリランカ国(当時セイロン)は賠償請求を放棄することを宣言されました。
さらに「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要である」と強調して一部の国々の主張した日本分割案に真っ向から反対して、これを退けられたのであります。
今から40年前のことですが、当時、日本国民はこの演説に大いに励まされ、勇気づけられ、今日の平和と繁栄に連なる戦後復興の第一歩を踏み出したのです。今、除幕式の行われるこの石碑は、21世紀の日本を創り担う若い世代に贈る、慈悲と共生の理想を示す碑でもあります。この原点から新しい平和な世界が生まれ出ることを確信します。
1991年(平成3年)4月28日
ジャヤワルデネ前大統領
顕彰碑建立推進委員会
東京大学名誉教授
東方学院院長
中村 元 勤誌
参考1:高徳院取材協力冊子(PDF)
発行・文責 後藤一敏氏(東方学院研究会会員)
日本との国交を最初に回復した国、スリランカ

〜戦後日本の“最初の友”〜
スリランカ(当時セイロン)は、1952年に日本と講和条約を結び、最も早く国交を回復した国のひとつです。
これは単なる外交の一歩ではなく、戦後の国際社会から孤立していた日本にとって、最初に手を差し伸べてくれた国という、深い意味を持っています。
なぜ「最初の友」と呼ばれるのか?
第二次世界大戦後、日本は連合国の占領下にあり、独立も国際社会への復帰も厳しい状況でした。
多くの国が日本に対して警戒と不信感を持つ中、スリランカは1951年のサンフランシスコ講和会議で日本の立場を擁護し、「賠償を求めない」と明言。
その姿勢を行動で示すように、講和条約締結からわずか数ヶ月後、1952年6月に正式に日本との国交を回復しました。
当時の日本にとって、「国交を回復する=国際社会に受け入れられた証」であり、最初にその意思を示してくれたスリランカは、まさに“最初の信頼の国”だったのです。
角膜移植による支援 〜仏教の慈悲に基づく贈りもの〜

日本とスリランカの交流の中でも、特に多くの人々の心を打つエピソードがあります。
それは、スリランカからの角膜の提供です。
仏教国であるスリランカでは、「死後に他者を救う」ことを尊い行いとされ、献眼の文化が根づいています。
日本では角膜提供が少なかった時代、多くのスリランカの人々が自らの角膜を日本人のために提供してくれました。
この「目の贈りもの」は、日本国内での角膜移植の普及を支え、多くの人に光を取り戻す希望を与えました。
1996年に逝去したスリランカの元大統領・ジャヤワルダナ氏は、自らの角膜を献眼し、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」という遺言どおり、そのうちの一つが日本人のもとへ届けられました。
これは日本とスリランカの深い絆を象徴する出来事として、今も多くの人の記憶に残っています。
仏教に根ざした「生を終えた後も他者を助ける」という精神が、国境を越えて命のリレーをつないだのです。